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終戦記念日

終戦記念日の金曜日は、

蒲生4丁目のお寺で ちんどんの親方と 演奏させていただきました。

ご住職が、 戦争がおきて お寺が焼けてしまった頃の話をされてました。

他にも参加されてるかたが 爆弾が恐かったと 話されてました。

爆弾が恐かったと言う話をきいて、怖いと 思うのでした。


自分は産まれてなくて
それだけで ラッキーなことです

だけど 自分が産まれてないけど、

私にも戦争が深く影響しています


母が言いました、

もし海外に行けるのなら、
フィリピンに行きたい と、

母の父は フィリピンで戦死したそうです。


NHKで ファミリーヒストリー とゆう番組がありますが、
その私のお爺ちゃんのことも あんな風に調べてもらいたい、、。


母の父は どんな人で どんな風に フィリピンにいたのか。

母は 父をたぶん 見たことないのだと思います。


そう思うと 父と母が いただけ、 またもや私は ラッキーであります。








そして、 戦争の話だけでなく、 はっとさせられたのが、



ご住職が話してくれたご友人の話

モンサンミッシェルに行きたくて 絵にまで描いてらした人が、

その夢は叶わずしんでしまったとゆうお話し。


その ご住職の口調から 死 とゆうことばを 身近に使われてるのが伝わってきました。


そして もう一度行きたい国はどこですか? と尋ねたら

そりゃいっぱいあるよ、体が元気ならいけたけど、、 また来世でいくわ

と言って笑ってらしたのが、 まだ若い方の私には 衝撃的でした。




私は まだ若いから 時間に制限があることも、
肉体に限りがあることも 知らなかったのです。


来世でいく、 なんて、



衝撃




モンサンミッシェルに 行けずに しんでしまうなんて、


悲しい、





お金すらあれば 行きたい国にいける自分は
この時間と肉体の猶予を ありがたいと はじめて思いました。


何 不自由なく 自分の体が動くのです、

好きな国へ 行けるのです。






最近、母がくれた手紙に
書いてありました。

青春はあっとゆう間だから、
やりたいことを やりなさいと。



その言葉の 意味をさらに 深くとらされるような ご住職とのお話でした。
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